展覧会

ベルナール・ビュフェ展 『木を植えた男』の著者ジャン・ジオノとの出会い

概要

展覧会名ベルナール・ビュフェ展 『木を植えた男』の著者ジャン・ジオノとの出会い
会期2010年2月11日(木)~2010年4月11日(日)
休館日月曜日 ただし、3月22日(月)は開館し、3月23日(火)は休館
時間10:00〜18:00(入館は17:30まで)
観覧料一 般 800(600)円
大高生・65歳以上 600(500)円
中学生以下 無料
( )内は20名以上の団体料金、障がい者とその付添者1名は半額
主催等主 催: (財)目黒区芸術文化振興財団 目黒区美術館

特別協力: ベルナール・ビュフェ美術館

主 催: (財)目黒区芸術文化振興財団 目黒区美術館 特別協力: ベルナール・ビュフェ美術館

ベルナール・ビュフェ ー 『木を植えた男』の著者ジャン・ジオノとの出会い

ベルナール・ビュフェは(1928〜1999年)は、パリに生まれ、第二次世界大戦中は占領下で絵画を学びました。戦後アンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品、19歳の時に批評家賞を受賞して、フランス美術界の具象絵画における時代の寵児となりました。しかし、戦争の悲惨さや都会の荒廃に傷ついた心を抱えて、22歳の時に突然、「木を植えた男」の原作者、55歳の反骨の文学者ジャン・ジオノの住むプロヴァンスを訪れて彼の家に滞在し親交を深め、その後も約5年間この地に住み続けました。挿画本「純粋の探求」は、ジオノがかつて「純粋に平和を探求しよう」と主張したことから反戦的とされて出版禁止になった文章に、15年後の1953年、ビュフェが23点の挿画をつけたもので、二人の精神の交流の深さを示しています。ジオノの「木を植えた男」も同じ頃に執筆されています。 本展では、ベルナール・ビュフェ美術館のご協力により、その他にもこの時期、1950年代までの深い精神性や宗教性を示す多数の初期油彩が出品されることから、ビュフェの創造の原点を見ることができます。そして、ビュフェが大きな影響を受けたジャン・ジオノについても明らかにしていく予定です。 日本では、1959年神奈川県立近代美術館、1963年東京国立近代美術館でビュフェ展が開催されており、2009年は没後10周年として各地で注目されています。

同時開催<藤田嗣治 ー 東京・ニューヨーク・パリ>

同時開催で所蔵作品を中心とした「藤田嗣治展」を開催します。藤田嗣治(レオナール・ツグハル・フジタ1886~1968年)は、第二次大戦前に日仏画壇での地位を得て、戦中は日本に帰国しましたが、戦後アメリカ経由でパリに戻り、そのあとフランスに帰化しました。本展では、目黒区美術館の所蔵作品である「シャーマン・コレクション」(蒐集家フランク・シャーマン旧蔵のコレクション)の水彩、版画、絵手紙、陶芸などを中心に、1924年の作品「動物群」(油彩)や関連作品、同年の「10人のこどもたち」(油彩)も出品を予定しています。 藤田とビュフェは、パリの具象画家として、パントル・グラヴュール(画家にして版画家)として、また特筆すべき描線の画家として通じるところがあり、両作家により都市的なフランスの美術の流れを知り、絵を描くことが生きることそのものであった画家たちを新たな視点で構成します。

展示概要

ベルナール・ビュフェ ー 『木を植えた男』の著者ジャン・ジオノとの出会い

ビュフェの初期の作品は、室内や、自画像など抑えた色調で描かれ、深く内面に向かって、戦争の悲惨さと戦後の価値観の変転、精神性の荒廃に対する静かな抵抗を物語っています。ビュフェの主張が最も純粋で秘めた力を示していた時代の珠玉の作品で構成します。 なお、ビュフェの追悼展以来、作年までビュフェ美術館から門外不出であった大作「キリストの十字架からの降下」(油彩、カンヴァス、1948年、180×270cm)の出品を予定しています。 1.初期1940年代、1950年代の油彩約50点、版画約20点、水彩2点 2.日本の美術館では初出品の油彩大作を2点出品予定です。 「サーカス」295×260cm1955年、「赤い鳥」241×282cm 1959年 3.版画集「純粋の探求」(ジャン・ジオノとのコラボレーションの挿画本です)

同時開催 所蔵作品より「藤田嗣治 ー 東京・ニューヨーク・パリ?」

藤田は、第一次大戦は日本に帰国せず、フランスで画家としての地位を築きますが、第二次大戦の勃発を機に、日本に帰ります。戦時中は迫力ある戦争画を描きますが、終戦後批判を受け、傷心のままにアメリカ経由でようやくパリに戻りました。所蔵作品から、GHQとして在日していたF.シャーマン宛に、藤田がニューヨークで描いた美しい水彩画入りの絵手紙、また、このシャーマンが収集した藤田作品を中心に約50点です。

ページの先頭へ