展覧会

中村直人 モニュメンタル/オリエンタル

1950年代パリ、画家として名を馳せた❝彫刻家❞

概要

展覧会名中村直人 モニュメンタル/オリエンタル
1950年代パリ、画家として名を馳せた❝彫刻家❞
会期2023年7月15日(土)~2023年9月3日(日)
休館日月曜日 *ただし、7月17日(月・祝)は開館、7月18日(火)は休館
時間10:00〜18:00(入館は17:30まで)
観覧料一 般 800(600)円
大高生・65歳以上 600(500)円
中学生以下  無料
*( )内は20名以上の団体料金
*障がいのある方とその付添者1名は無料
*目黒区在住、在勤、在学の方は受付で証明書類をご提示いただくと団体料金になります。
*他の割引との併用はできません
*ご入館のための日時指定予約は必要ございません。開館時間内に直接お越しください。
主催等主  催 公益財団法人目黒区芸術文化振興財団 目黒区美術館
協  賛 公益財団法人北野生涯教育振興会
共同企画 上田市立美術館

中村直人(なかむら なおんど 1905ー1981)は、長野県小県郡神川村(現・上田市)に生まれた芸術家です。少年期に山本鼎(やまもと かなえ)の勧めによって彫刻家となり、次第に院展で認められるようになりました。しかし1952年に一転、パリに移住し、今度はグアッシュ(不透明水彩絵具)作品により好評を博するようになります。 帰国後は二科会の会員となり、彫刻、絵画、版画など数多くの作品を手掛け、哀愁漂う女性像や裸婦像によってそのイメージを定着させました。晩年は東京・目黒区にアトリエを構えて旺盛に作品を制作し続け、二科展の内閣総理大臣賞を受賞しています。本展では、中村直人の作品・資料をはじめ、直人に影響を与えた諸作家の作品も併せて展示します。直人の生涯をなぞるように、彫刻家としての黎明期、従軍した戦時期、フランス時代、帰国後の四つの時期に分けて構成します。 戦時中に制作された大型の記念碑的—モニュメンタルな彫刻作品や、ヨーロッパで人気を得たオリエンタリズムあふれる絵画を通して直人の異色の生涯をご紹介します。
※本展は、中村直人の故郷・長野県上田市の上田市立美術館と、直人が晩年を過ごした東京都目黒区に在する目黒区美術館による共同企画展です。上田市立美術館で2023年4月15日(土)から6月11日(日)の会期で開催した後、目黒区美術館に巡回します。

中村直人《ジャポネーゼ》1950年代 グアッシュ・紙 小杉放菴記念日光美術館

中村直人の一生

1 彫刻家を目指して

中村直人《手品師》1932(昭和7)年
木彫・着色 個人蔵

中村直人は、1905(明治38)年、長野県小県郡神川村(現・上田市)の養蚕農家に生まれます。 兄は芸術家・山本鼎が開いた農民美術講習会第1回生の中村實。大正デモクラシーの影響色濃い上田で育ちました。1920(大正9)年には、兄・實の勧めと山本鼎の紹介により、木彫家・吉田白嶺の木心舎に入門します。丹念な人物の描写や、力強い猛禽類の彫り方には、師匠であった吉田 白嶺の影響が表れています。21歳になると、国内屈指の美術団体・日本美術院(院展)で初入選を果たします。1936(昭和11)年には、院展内の最上位の地位に当たる同人(審査員を務める立場)に推挙されるまでになりました。
2 戦時期を象徴するモニュメンタルな作品づくり

中村直人《草薙剣》1941(昭和16)年 木彫
静岡市立登呂博物館

1937(昭和12)年10月、日中戦争が勃発すると、直人は従軍を志願します。日本画家・横山大観の支援を得て通信員となった直人は、現地の様子を日本の雑誌や新聞で紹介する絵を描きながら、中国の風景・風俗をひたすらスケッチしました。また、軍の依頼もあり、兵士をモデルとした彫刻や、《防人》など時代を象徴するような記念碑的な大型作品を制作し始めます。旺盛に発表し続ける作品は独創的で、日本軍をモチーフとした《暁の進軍》ではエジプトやギリシャなど、古代の立体表現も取り入れられています。
3 フランスにて、オリエンタルな絵画で有名に

ところが、終戦になってから藤田嗣治(後のレオナール・フジタ)と親交を深めるようになった直人は、藤田の強い勧めを受けてパリに引っ越してしまいます。戦後の落ち着かない日本で、芸術の本場フランスに追従するような制作を続けているよりも、現地に乗り出していきたい、と考えた直人。1952(昭和27)年、一家をあげてパリへ移り住むことにしたのでした。パリに渡った直人はしばらくホテル住まいをしていましたが、狭い部屋では思うように彫刻の制作ができず、次第に絵を描くようになります。そこで注目した画材が不透明水彩絵具・グアッシュでした。直人は厚塗りに適したグアッシュの特性を活かし、描いては紙を丸め、その上からまた絵具を塗り重ねていき、わざとひび割れを起こして下の色を覗かせるという、独自の技法を編み出します。それによって生まれた奥深い絵肌が功を奏し、1953年、パリの画廊で開いた個展は大変な評判となり、地元の新聞で「ナオンド・ナカムラはパリを征服しにやってきた」と絶賛されることとなりました。渡仏後の直人は、東洋的・日本的なモチーフにも積極的に取り組んでいます。和服や仏教の五色(青[緑]・黄・赤・白・黒)を思わせる色使いは強烈に人の目をひきつけました。また、彫刻家としての基盤をもつ直人は、平安時代や鎌倉時代の仏教美術に深い興味を示し、仏像の造形から身体の立体表現を学んでいました。作品を見ると、平面作品にもその経験が活かされていることが分かります。

中村直人《女と猫》1952-1964(昭和27-39)年
グアッシュ・紙 上田市立美術館

中村直人《大原女》1956(昭和31)年 グアッシュ・紙
長野県立美術館

中村直人《桃のある静物》1963(昭和38)年
グアッシュ・紙 小杉放菴記念日光美術館

中村直人《パリの赤い家》1953(昭和28)年 グアッシュ・紙 小杉放菴記念日光美術館

中村直人《クルン》1960(昭和35)年 グアッシュ・紙 上田市立美術館[森公房コレクション]

4 日本への帰国

パリ在住12年の間に国際的な画家としての地位を築いた直人は、1964(昭和39)年に日本に帰国します。東京・銀座で開催した滞仏絵画展は大評判を呼び、日本画壇への晴れやかな復帰となりました。1965年、大正初めから続く二科会に会員として招待され活躍し、1980年には二科展最高賞である総理大臣賞を受賞。 翌年にこの世を去るまで、芸術家として活動し続けた人生でした。

中村直人《会合》1980(昭和55)年 グアッシュ・紙 長野県立美術館 

中村直人 略年譜

1905年 長野県小県郡神川村(現・上田市)に生まれる。
1919年 山本鼎提唱「農民美術講習会」が神川小学校にて開催。実兄・中村實参加、直人も彫刻家を志す。
1920年 日本美術院(院展)彫刻部同人・吉田白嶺の木心舎に入門。
1926年 再興第13 回院展に木彫《清韻》初入選。
1929年 再興第16 回院展に木彫《女子立像》等入選。翌年の再興第17 回 院展にて《道化役者》入選。
1936年 日本美術院同人に推挙される。
1937年 横山大観の推薦により通信員として中国大陸各地を視察。
1942年 真珠湾攻撃戦没《九軍神》像制作、のちに東郷神社に奉納される(戦災消失)。
1947年 戦争協力者に対する糾弾が高まり、同じく批判を受けていた藤田嗣治と親交を深める。
1952年 藤田嗣治を頼り、パリへと出国。
1953年 パリでの画家としての個展が成功。「ナオンドはパリを征服しにやってきた」などと称賛される。
1964年 帰国。滞仏作品展を各地で開催。
1965年 第50回二科展に《横臥する裸婦》等招待出品、会員に推挙される。
1971年 第56回二科展にて《裸婦》が青児賞受賞。
1974年 目黒区青葉台に転居。
1980年 第65回二科展にて《会合》が内閣総理大臣賞受賞。
1981年 敗血症にて死去。享年75。

展覧会紹介動画

関連イベント

ギャラリートーク(中村直人展関連イベント)

戦時期の日本で着実に彫刻家としての地位を築きながら、戦後はパリで一転、画家として名を馳せた中村直人。展覧会場で作品を見ながら芸術家・中村直人についてお話いただきます。

日時2023年7月29日(土)14:00~(1時間程度)
会場目黒区美術館 展示室
講師山極佳子(上田市立美術館 学芸員)
定員20人程度
料金参加費無料(ただし、当日有効の観覧券が必要です)
申込方法事前申込不要・当日直接会場にお越しください
ページの先頭へ